【疑問】多摩が東京都である理由とは?玉川上水管理と地域移管の真相に迫る

【疑問】多摩が東京都である理由とは?玉川上水管理と地域移管の真相に迫る

多摩市のサムネイル
多摩市(たまし)は、東京都の多摩地域南部に位置する市。 東京のベッドタウンとして開発され、全域に住宅街が広がっている。1971年(昭和46年)市制施行。 市域は多摩川中流右岸に広がり、多摩丘陵の北端を占める。北端は多摩川、南端は多摩丘陵の稜線である。多摩川の支流である大栗川とその支流である乞田川が…
152キロバイト (17,250 語) – 2025年9月21日 (日) 15:35

(出典 聖蹟桜ヶ丘の街並み(東京都多摩市)の写真素材 [147817148] – イメージマート)
多摩地域が東京都に属する理由について、非常に興味深い記事ですね。玉川上水の管理を通じて、神奈川県から東京都への移管がなされた背景には、地域の発展や住民の利便性向上があったことでしょう。その歴史的な経緯を知ることで、現在の多摩地域の特色や今後の展望について考えるきっかけになります。

1 ぐれ ★ :2025/09/29(月) 11:26:13.70 ID:zjrmKhOm9

※2025/09/29 05:00
読売新聞

 「都内へ行ってきます」。同僚は23区内に取材に出かけるとき、そう言って出かける。立川も都内なのに……。立川支局に着任して数か月になるが、多摩30市町村と23区には大きな隔たりがあると感じる。そもそも、なんで多摩は、東京都なのだろう。いっそのこと、独立して「多摩県」になる手もあるんじゃないか。(大原圭二)

 江戸時代の多摩は「武蔵国多摩郡」だった。1871年(明治4年)の廃藩置県で多摩郡は一時、東京府と入間県(今の埼玉県の一部)に帰属し、直後に全域が神奈川県に移管された。つまり多摩は、当初は神奈川県だったのだ。ちなみに、この措置に反対した多摩郡東部(現在の中野区と杉並区)は72年に東京府に組み込まれた。

 その後、どんな経緯で多摩は東京になったのだろう。多摩の歴史に詳しい「たましん地域文化財団」の保坂一房さん(69)=写真=を立川市の事務所に訪ねると、「東京のインフラとして上水道を整備するため、玉川上水を管理しなくてはいけなかったことが表向きの理由」と教えてくれた。

 多摩地域を横断する玉川上水は江戸時代に整備され、多摩川の水を江戸市中に引き入れていた。86年に各地で不衛生な水によって感染が拡大するコレラが大流行した。神奈川県(多摩)の玉川上水の上流で「コレラ患者の汚物が流された」とのうわさも飛び交って、大騒動にもなった。禁止されていた玉川上水を守るための林の伐採を神奈川県が解禁したこともあり、東京府は直接管理に乗り出す必要があると考えたのだ。

 さらに、神奈川県側にも「多摩を手放したいという理由があった」という。当時は、国会の開設を求める自由民権運動が繰り広げられていた。現在の町田市などを含む南多摩郡では運動が活発で、県知事と地元の政治家の対立が激化していた。

 保坂さんは「多摩を東京府に移管すると、県知事の立場では管轄地域が減るのはデメリットが大きいが、それ以上に反対勢力を県政界から排除したかった」と指摘する。

 神奈川県と東京府の思惑が一致し、多摩は約20年間の「神奈川時代」に別れを告げ、93年(明治26年)に東京に移管された。

 以降も、多摩の帰属を巡って議論は続いた。多摩と現在の23区の一部を含む「武蔵県」や、多摩だけで独立する「多摩県」の構想が浮かんでは、消えた。1943年に東京都が成立し、戦後は都心のベッドタウンとして発展する。

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https://www.yomiuri.co.jp/local/tokyo23/news/20250928-OYTNT50177/

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