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「男子も女子も心や体が強い子が入る」狭き門の実態…慶應幼稚舎に合格する子どもの特徴
慶應義塾幼稚舎。1874年、福澤諭吉の門下生だった和田義郎が、年少の塾生の教育を嘱託されて設立した、日本最古の私立小学校である。
岩崎久弥(三菱財閥三代目総帥)、服部禮次郎(セイコー元会長)、武藤絲治(鐘紡元社長)、福原義春(資生堂元会長)、岡本太郎(芸術家)、藤山一郎(歌手)、千住真理子(ヴァイオリニスト)、福澤武(三菱地所元会長、福澤諭吉の曾孫)、福澤克雄(TVプロデューサー、福澤諭吉の玄孫)など、各界の名だたる人物を輩出してきた。その圧倒的なブランド力は、まったく衰えを見せていない。
「私立小学校のなかで人気ナンバー1の学校で、最難関中の最難関」
【中略】
しかも幼稚舎は、慶應義塾全体のなかでも特別な存在だ(表参照)。慶應義塾大学が毎年6500人程度の卒業生を出すなかで、幼稚舎の定員は1学年で144名。単純計算すれば、幼稚舎出身は慶應大出身の2.2%にすぎない。定員が男子の半分の女子には、さらに「狭き門」で、「幼稚舎の女の子はめちゃめちゃ優秀だった」と、幼稚舎出身50代男性のAさんは振り返る。
「世間的には、都会的なセレブの子で、エリートでひ弱だと思われていますが、イメージとは違って、幼稚舎の教育方針も幼稚舎に通う子供自身も、完全に『体育会系』です」と石井氏は評する。
「ペーパー試験がないので、男子も女子も心や体が強い子が入る。とくに少人数の女子は、ものすごく気が強い子しかいませんでした」
こう話すのは、幼稚舎出身で自身の息子と娘も幼稚舎に入学させた50代女性のBさんだ。その教育内容については、「運動ばかりで、勉強は何もしませんでした」(同前)という。
実はこれこそ、福澤諭吉の教育方針だった。
「『福翁自伝』で説いた『先(ま)ず獣身(じゅうしん)を成(な)して後に人心(じんしん)を養う』が幼稚舎教育の原点。学ぶことの大前提として、まずは身体づくりが一番大切だということです」(石井氏)
しかしその結果、“最難関校”にもかかわらず、「九九もままならない状態で卒業する子もいる」(石井氏)という噂も囁かれる。Bさんに確認してみると、「同級生にそんな子は見当たりませんでしたが、学校任せにして家庭で勉強しなければ、分数や九九ができないまま卒業してしまう子も出てくるでしょう」。
文春オンライン 2025/07/30
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