阪神ドラ1・森木大智「消えた天才だけにはなりたくなかった」。高校入学時から苦悩と挫折を重ねた3年間

阪神ドラ1・森木大智「消えた天才だけにはなりたくなかった」。高校入学時から苦悩と挫折を重ねた3年間

阪神ドラ1・森木大智「消えた天才だけにはなりたくなかった」。高校入学時から苦悩と挫折を重ねた3年間

1

阪神タイガース・ドラフト1位指名森木大智投手(高知3年)インタビュー

【「スーパー中学生」が高校で感じた違和感】

◆怪物・佐々木麟太郎だけじゃない。神宮大会で見逃せない2022年のアマチュア球界を賑わせる大学・高校の逸材たち

「正直に言って先輩たちには悪いですけど、高校に入ったら試合のメンバーには絶対入れるしすぐにエースになれると思っていました」

 2021年10月27日、高知高の旭グラウンド。数日後に自分たちの代の成績を超え、秋の四国大会頂点を極めることになる2年生たちの練習を眺めながら、阪神タイガースのドラフト1巡目指名を受けた森木大智は語り始める。そう、彼は高校進学前から鳴りもの入りで入学した選手だった。

 地元土佐市の蓮池小時代から高知県内では快速球投手として有名な存在だった。高知中でも2年時から軟式球で140キロ後半をマークし、全国発売の野球雑誌やテレビ番組をにぎわすと、3年春にはエースとして中学軟式野球の頂点を争う文部科学大臣杯第9回全日本少年春季軟式野球大会で優勝。

 さらに2018年8月、愛媛・坊っちゃんスタジアムで開催された四国中学校軟式野球大会の決勝戦では、日本中学球児史上初となる150キロをマーク。「狙って出しにいった」(森木)という。その後、全国大会で優勝し春夏連覇を達成している。

「すごい中学生がいるらしいね」。この時点で、”スーパー中学生・森木大智”の名はNPBのスカウト陣にも広く認知されていた。

だが、順調に回っていた彼の歯車は高校入学後、微妙に狂い始める。1年春の四国大会で思い出の坊っちゃんスタジアムで公式戦初登板。じつはこの時から、森木は「中学時代とは違う感覚」をかぎ取っていた。

「練習や練習試合ではいいボールがいっても、公式戦で力が入ると、ボールに力が伝わらない。バッターによっては変化球を投げなきゃいけないのに、変化球も自信がない。マイナスな気持ちで投げていました。『打たれても次は抑えてやる』と思っていた中学時代とは逆の感覚だし、自信がない気持ちで投げたのは初めてでした」

 当然、森木は違和感への克服策を練る。「ボールの質を上げることに意識を変え、遠投を採り入れた」。1年夏を迎える前に148キロを出し、高知大会では決勝戦で明徳義塾に敗れるも大車輪の活躍。ただ、その反面……。

「まずフォームを見失っていました。本来はオーバースローなのに肘が下がっていたんです。それはのちのちわかったことで、当時は気づかなかった。そして1年夏は、ストレートでは押せていたんですが、自分の気持ちが上がらなくて無理やり投げながら吠えていたんです。今考えると中学時代は三振が取れていたのに、高校ではバットに当てられてしまうことに、自分自身で勝手にハードルを上げて悔しさを感じていたんです」

「世間の声はまったく気にしなかったし、中学時代の結果は関係ないと思っていた」と言いながら、結果的には自分自身が中学時代の幻影と戦うことになってしまった森木。そして高校1年の8月。彼の右肘は休養を求めた。「肘が下がっているのに無理やり上げようとして腕を振ってしまった」。

 早期診断が功を奏し、断裂の一歩手前で食い止めたものの、秋の公式戦のマウンドは高知中央にコールド負けした県大会の準々決勝でのリリーフで打者1人のみ。「これが軟式球から硬式球に変わった時に起こるケガなんだな」と痛感したという森木は、ここではじめて技術だけではない「心」と真剣に向き合うことになる。

▼記事全文はこちら


続きを読む

続きを見る(外部サイト)

スポーツカテゴリの最新記事