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「やまちゃんた」「もんたクロース」「みのモンキー」「お花見のもんた」「桜の木のもんた」「休みのもんた」(『おはスタ』) やまだひさし 「上みのもんた」(『やまだひさしのラジアンリミテッドDX) ホリ(数々の番組で披露。本人公認) 「蚤もんたん」(漫画『元祖!浦安鉄筋家族のキャラ) 「のもた民夫」(漫画『アクメツのキャラ)…
72キロバイト (9,811 語) – 2025年3月11日 (火) 14:27
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1 冬月記者 ★ :2025/03/02(日) 08:56:09.42 ID:D5gqiLKp9.net
みのもんたさん「1本500万円」超高額ギャラは夜の街に還元 〝銀座の帝王〟の流儀
〝日本一忙しい司会者〟として一時代を築いたみのもんたさん(本名・御法川法男)が1日、亡くなったことがわかった。享年80歳。
関係者によれば、1月中旬、都内の高級焼き肉店で食事をした際に肉を詰まらせ、救急搬送。一時心肺停止となっていたという。
みのさんは立教大卒業後、1967年に文化放送に入社。79年に退社後、父が経営する水道メーター製造・販売会社「ニッコク」に就職し、フリーアナウンサーと会社員の〝二刀流〟として活躍した。
日本テレビ系「午後は○○おもいッきりテレビ」をはじめ、TBS系「どうぶつ奇想天外」「学校へ行こう!」(同)、「クイズ$ミリオネア」(フジテレビ)など、数々のヒット番組に出演。
05年からはTBSの朝の情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」がスタート。同年の「第56回NHK紅白歌合戦」では司会を務めた。
最盛期のレギュラー番組は実に16本。「日本で一番忙しい司会者」と呼ばれ、06年には「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」として、ギネス世界記録に認定された。
多忙な中にありながら、遊びにも全力で打ち込んできた。「朝ズバッ!」が終わり、そのまま夜の街に繰り出すことも。付いた異名は「銀座の夜の帝王」。1日に4~5軒のクラブをはしごし、深夜に帰宅。わずかな仮眠をとり、再び早朝の「朝ズバッ!」収録に参加するタフネスぶりだった。
「銀座で1日にウン百万円使ったなんて話はザラ。朝ズバのスタッフを大挙引き連れて、京都・祇園でお座敷遊びをしたという話も聞いた。マスコミを集めて定期的に『赤坂もんた会』なる飲み会もも開いていた。とにかく明るい場が大好きな人だった」(みのさんを知る人物)
今と違って当時のテレビのギャラは高額。帯番組の朝ズバは1本500万円なんて話も出るほどだった。テレビ関係者の話。
「単純計算で朝ズバだけで10億円以上の実入り。ほかにも10本以上レギュラー番組があったので、みのさんはテレビだけで20億円近く稼いだ年もあったのではないか」
記者もみのさんのインタビュー取材がてら、酒席に同行したことがある。訪れた先は都心にある古びた一軒家。表札もなければ、派手な装飾もない。
しかし、扉を開けると中には数人分のカウンターがあり、中央で着物姿の女性がお酒を作っていた。
みのさんいわく「ここのママは昔、祇園のNo.1だった子なんだよ」。みのさんはウイスキーやブランデーにアイスボールに入れて飲むのが好きで、記者もマネてみたが、あっさりと記憶を失った。
ここ数年は難病であるパーキンソン病を患い、銀座巡りもめっきり減っていたという。天国では気兼ねなく大好きなお酒を飲んでほしい。