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【5年前のコロナ震源地、中国武漢の今を歩く】実際の死者数はもっと多かったとの疑念が消えない・・・葬儀業の男性 「当時、近隣の団地だけでも死者が相次いで対応できなかった」
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だが世界を未曽有の危機に陥れた新型コロナの流行「震源地」で危険と背中合わせの日々を過ごした武漢の市民らは、ポストコロナの国内経済の低迷もあって不満を募らせている。
中国内陸部の湖北省にある人口1千万人を超える大都市・武漢市。2019年12月30日、武漢市当局は何の前触れもなく、「原因不明の肺炎患者」が次々に確認されたと医療機関に通知を出した。
翌31日には一般にも公表したが、当局が「人から人への感染」を認めたのは2020年1月20日になってからだった。
新型コロナという“見えない敵”との戦いが始まった武漢市。市中に患者はあふれ、一時は治療体制が追い付かずに医療崩壊が現実味を帯びていた。
混乱が続く中、武漢市政府は2020年1月23日、医療現場のひっ迫状況に対応するため、新型コロナ専用の臨時病院「火神山医院」の建設を決定した。突貫工事で約10日後には完成し、運用期間は約2カ月にわたった。
市中心部から西に約40キロ。2024年12月中旬、記者は「医療のとりで」として活躍した「火神山医院」の跡地を訪れた。
総敷地面積は約7万平方メートル。建物面積は東京ドームよりやや小さい約3・4万平方メートルと巨大だ。
「天から神の兵士が降り、1400人超の白衣の天使が一線で戦った」。関係者によると、土ぼこりをかぶった看板には、流行当初に急派された軍や医療従事者らを英雄視する言葉が並ぶという。
プレハブ造りの病棟は感染者の隔離や重症者の治療、ウイルス検査といった目的別に分かれ、病床は千床に上る。関係者によると、窓の鉄格子はさび付き、「封印」の紙を張ったドアは開きっぱなし。
「武漢加油(頑張れ)! 抗疫必勝!」。今でも防護服を着た人のイラストが入ったポスターも張られており、外部連絡用とみられる小型モニターや、「酸素」「吸引」と書かれた設備も残されたままという。
看板には「収容した3059人のうち96・8%が回復し退院した」との文言が続くが、市民の命を守ったという誇りを感じる一方、廃虚と化した建物から当時の活躍を想起することは難しかった。
習指導部は新型コロナとの戦いで「大勝利を収めた」とアピールする。だが葬儀業の男性は「当時、近隣の団地だけでも死者が相次いで対応できなかった」と振り返る。
当局によると2024年11月までの中国の死者数は約9万人で、人口比では日本や米国よりも圧倒的に少ない。
中国では実際の死者数がもっと多かったとの疑念が消えない。2022年12月には詳細な統計の発表も停止され、実態の把握は難しい。
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引用元: ・【5年前のコロナ震源地、中国武漢の今を歩く】実際の死者数はもっと多かったとの疑念が消えない・・・葬儀業の男性 「当時、近隣の団地だけでも死者が相次いで対応できなかった」
正:製造地
はい差別
放っておけば必ず弱毒化する
ワクチン効果など
そもそも存在しない
こんな馬鹿も日本脳炎とかを乳児や幼児期に射って貰ってるから
今まで生きているという事が何とも言えないよなw
年明けて新年に、バタバタとまだ、早いだろうと言う40~60歳の方が亡くなった
みんな口には、しないがコロナ感染したのかな。まだ、ワクチンなかった時期
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