あわせて読みたい
【パヨクの内ゲバ】望月衣塑子氏 “伊藤詩織さんが監督したドキュメンタリー映画、取材源の秘匿というジャーナリズムの基本原則が完全に無視されており…”
@ISOKO_MOCHIZUKI
伊藤詩織さんが監督したドキュメンタリー映画「Black Box Diaries」を観て、愕然とせざるを得なかった。冒頭からタクシー運転手の顔や声がそのまま晒され、詩織さんに捜査の内幕を語った公益通報者である刑事も隠し撮りされ、横顔や携帯でのやりとりが映し出されている。取材源の秘匿というジャーナリズムの基本原則が完全に無視されており、これが許されるならジャーナリズムの信頼は地に落ちるだろう。
「公益性」を理由にする主張もあるかもしれないが、この手法には何の正当性もない。タクシー運転手や刑事の顔と声を世界中に晒すことに、どんな公益性があるのか説明すべきだ。記者は取材源との信頼を前提に情報を得ている。それを守らなければ、今後誰も取材に応じなくなるだろう。詩織さんは声を上げられない人々を守る存在であったはずだ。それが、立場の弱い運転手や刑事の声を踏みにじり、彼らを晒し者にする手法を取ることは到底理解できない。
さらに、裁判を支えた西廣弁護士との夜の会話までもが無断で映画に使用されている。詩織さんが弁護団との信頼関係を壊し、この映画を公開に突き進んだ背景には、オスカー賞への執着があったのではないかとの疑念を抱かざるを得ない。しかし、仮に賞を取れたとしても、ジャーナリストとしての矜持を失えば、その価値は何になるのか。
映画が50以上の映画祭に出品され、18の賞を受賞したとされるが、海外ではこの映画が取材源の無許可使用や公益通報者の隠し撮りを行った事実は知られていないのではないか。この事実を知れば、評価は一変するだろう。日本国内でも、この問題に対する批判は一部メディアに留まり、社会全体で議論されていない。これは、日本においてジャーナリズムの本質が十分に問われていないことの表れだ。
詩織さんは、性被害を告発し、MeTooやWeTooムーブメントを日本社会に広げた功績がある。その意義を否定するものではない。しかし、今回の映画制作での行為はそれとは別問題だ。どれだけ被害者であっても、ジャーナリストとして越えてはならない一線がある。取材源を守らず、公益性を欠いた情報公開を行うことは、ジャーナリズムの根幹を壊す行為だ。
ジャーナリズムとは何か。それは権力を監視し、真実を追求することだ。しかし、その手段として取材対象を裏切り、彼らを危険に晒すことが許されてはならない。詩織さんには、今回の行為がもたらした影響とその深刻さに向き合い、今後どのように信頼を回復していくのかを真摯に考えてもらいたい。
https://tokyo-np.co.jp/article/361658
午前11:05 · 2024年12月22日
https://twitter.com/ISOKO_MOCHIZUKI/status/1870651795992948779