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巨人・梶谷隆幸、プロ18年目の引退を決意した理由とは?
梶谷がユニホームを脱ぐことを決断した。横浜、DeNAで14年、巨人で4年。数々の超人的なプレーでファンを魅了してきた男が、現役生活にピリオドを打つ。巨人は21日までCS最終Sで古巣・DeNAに敗戦。チームのシーズン終了から一夜明け、球団関係者らに現役を退く意思を伝えたもようだ。
18年目の今季は最高のスタートだった。3月29日の阪神との開幕戦(東京D)に「3番・右翼」で先発。3回1死一、二塁で森下の右中間への大飛球をダイビングキャッチすると、打っては1号2ラン。4年契約の最終年に「駄目だったら去らなきゃいけない。野球をまだ続けたい」と不退転の覚悟を示し、阿部巨人初勝利の立役者となった。
しかし、高い身体能力を支える体は限界に近づいていた。4月2日の中日戦(バンテリンD)前に古傷の左膝痛を再発して登録抹消。再昇格直後だった5月6日・同戦前のアップ中に再び、同箇所を痛めた。無念の再離脱。誰もいないブルペンに向かい、涙した。
G球場では一進一退を続ける患部と向き合い、黙々と汗を流した。かつては4年連続20盗塁以上をマークした脚力は「いいときの半分にも満たないレベル」でも、諦めることはなかった。「成長は痛みを伴う」。度重なる故障を乗り越えてきた男の座右の銘だ。
DeNA時代の13年に77試合で打率3割4分6厘とブレイク。14年に39盗塁で盗塁王を獲得と球界を代表する外野手に成長すると、打率3割2分3厘をマークした20年オフに国内FA権を行使して巨人入りした。 21年には左太もも痛、右手骨折、腰痛に見舞われ、22年オフには育成契約となった。それでも支配下に復帰した23年には3年ぶりに100試合出場を果たし、復活を遂げた。
今季はチームがレギュラーシーズンを終えた直後の5日から東京Dに1軍練習に合流。CSメンバー入りを目指し、満身創痍(そうい)の状態でバットを振った。最後まで故障と闘い続ける姿は、若手の模範となっていた。第二の人生は野球から離れた道も選択肢に入れているという。不屈の生きざまを貫いた男が、静かにバットを置く。
◆梶谷 隆幸(かじたに・たかゆき)1988年8月28日、島根・松江市生まれ。36歳。開星高から2006年高校生ドラフト3巡目で横浜(現DeNA)入団。外野手に転向した14年に初めて規定打席到達し、39盗塁で盗塁王。20年オフにFAで巨人入り。通算1064試合で打率2割7分、126本塁打、441打点。180センチ、90キロ。右投左打。
報知新聞社
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5889a33eb7a68f00fd6bc21725d899ff26c92de