【改築の意味知らないのか】韓国の世界遺産に『昭和八年三月改築』の文字、日帝が民族抹殺の一環として天皇の年号を刻んだようだ

【改築の意味知らないのか】韓国の世界遺産に『昭和八年三月改築』の文字、日帝が民族抹殺の一環として天皇の年号を刻んだようだ

【改築の意味知らないのか】韓国の世界遺産に『昭和八年三月改築』の文字、日帝が民族抹殺の一環として天皇の年号を刻んだようだ

1: 名無し募集中。。。 2021/10/08(金) 17:55:33.42 0
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ユネスコ世界遺産であり、国の祠堂(しどう/祖先の霊を祭る所)であるチョンミョ(宗廟、史跡第125号)の外郭の塀に日本統治時代の名残が残っている。「昭和八年三月改築」の文字が鮮明に見て取れる日本の天皇の年号だ。実際に宗廟外郭の道である西順羅道をたどっていくと、「昭和」を刻んだ刻字石を1個だけでなく9個も見つけることができる。 しかし、その背景を説明する案内板すらない。

国会文化体育観光委員会のチョン・チョンレ(鄭清来)共に民主党議員は5日、文化財庁に対する国政監査で、「日本の年号を取った『昭和八年三月改築』と刻まれた石が宗廟の塀にそのまま残っている」とし、「日本人の観光客が訪れて写真を撮ったして騒ぎになっているが、これがどんな意味なのか表示さえされていない」と指摘した。

宗廟は朝鮮時代の歴代の王と王妃の位牌を安置した祠堂だ。朝鮮王朝のルーツであり、儒教的正統性の象徴だ。そこに刻まれた「昭和の塀」の存在は最近知られたわけではない。2019年8月、文化財庁宮陵遺跡本部が「宗廟外郭の塀の基礎現況資料調査」報告書を発刊する過程で明らかになった。当時の報告書は「1933年(昭和8年)ユルゴクロ(栗谷路)を開発中にチャンドックン(昌徳宮)と連結していた塀を崩して改築する際に天皇の年号を刻んだようだ」と推察した。日帝が民族抹殺の一環として昌徳宮と宗廟を横切る栗谷路を開通させて塀を工事し、日本の年号を取って「昭和八年三月改築」と刻印したものだ。

これについて文化財庁は実態調査とともに、「この事項を知らせるための案内板を追加設置し、解説案内の手引書を修正する方針だ」と発表した。 しかし、約2年が経過した今まで特段の措置がなかったことが今回の監査で確認された。

鄭議員によると「たった2つの塀にハングルで簡単に表示された案内板があるだけで、歴史的事実などを記した案内は全くなく、残りの7つの塀はそれさえもなしに日本人観光客の記念撮影場所として有名になっている」と指摘した。

この他にも鄭議員は、「モクポ(木浦)近代歴史館など日本による植民地時代に毀損(きそん)されたり活用された文化財に対して歴史的事実と反省が込められた案内板などが必要だ」と主張した。最近史跡に指定された「木浦近代歴史館1号館」も植民地統治の代表機関である旧日本領事館だったという事実も知らされないまま、ドラマのロケ地として観光客がよく訪れているというのだ。

鄭議員は「外国勢力によって毀損・改変された文化財を原型に復元することが難しかったり、そのまま維持した方がより意味があるという社会的合意があるのなら、その改変についてどのように知らせて教訓として残すのかを真剣に考えなければならない」と述べ、「国民が深い歴史の痛みを肝に銘じ、正しい歴史を学べるように、これに対する対策を立てるべきだ」と強調した。

ヤフーニュース(WOW!Korea)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f1dee4d9f25ef3f4ebc690f5d5e92641c901d0ef


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